五世豊松清十郎を襲名する文楽人形遣い
= 吉 田 清 之 助 さ ん =
24年ぶりに大きな名跡が復活。
文楽人形遣いとして唯一の豊松姓になる。
「師匠の名を名乗らせていただきますが、
芸がとても追いつかないです」
小学4年の時、舞台好きの母に四世豊松清十郎の
会に連れられていき、「楽屋へ遊びにおいで」と誘われた。
楽屋では清十郎が作ってくれた子供用の黒衣を
着ては大はしゃぎ「学校より楽しくなってしまって」
中学1年から豊松清之助の名で
東京公演などを手伝った。
「文楽へ入るんだから」と学校も公認。
卒業後、正式に技芸員に。。。。。
師匠が84年に死去し、二世
桐竹勘十郎(人間国宝)門下に。
勘十郎死去後、吉田蓑助(同)
に声をかけられ一門に。
~ 英所を読むのが趣味で、
米国の作家、エィミ・タンが 好き ~
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